空しい夢

生みの母が死んだのは世界中を荒らしまわった大正7年のスペイン風邪の最中であったが、死因がスペイン風邪であったかはたしかでない
死ぬ前に末の妹を生んでいるから産褥熱であったのかも知れない。あるいはスペイン風邪と産褥熱が重なったとも考えられる
母はまだ42歳の女ざかりであった

生みの母が死んでいくらか経ち、第二の母が隣り村から迎えられて来た
彼女はかなり年配に見れたが墓碑には「32歳逝去」とあるからまだ女ざかり以前であった

ひとりの弟をわれらに残したがその弟は太平洋の戦に召され、南の島の守りに就く前に敵潜にねらわれて海底に沈んだ

この第二の母が死ぬ前、鹿児島市に在った県立病院に入院していてまだ小学生の私が10日ほど介護にあたったことがある
県立病院は西郷隆盛の私學校跡にあって外壁には弾痕が生々しく残っていた
それを見まわって城山攻防戦のはげしさを偲んだりした

海底に沈んだ弟は幼くして生母を喪ったせいか、成人前すこしぐれて一家の悩みの種になった時期があったが、海軍に入団すると第三の母がしばしば佐世保軍港まで行って面倒を見てやったようで最後の船出をする頃はほぼ間然するところのない海軍々人になっていた

横須賀を出港する直前、東京在住の親族が集まって逗子のなぎさホテルでささやかな一夕の宴を催した。
これが最後になるとは思わなかったので戦後いちばん熱願したのは彼の生還であったが、すべては空しい夢に終わった

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