ボタン左前のシャツ

B君主宰の詩誌「ZZ」174号のために「ボタン左前のシャツ」と題する詩を送ったところ、B君より「・・・・・・御作を拝見しながらふと芭蕉の句を思い出しました。おもしろうてやがて、かなしき鵜舟かなの句であります。淡々とした作でありながら、おもむきの深いものを感じます。」という感想が送られてきた。

この感想は、私の詩に向けられているのか、芭蕉の句に向けられているのか、ハッキリしないが、芭蕉の句と私の詩の両方に向けられていると取ってよいのかも知れない。
ところで私の詩というのは、

ボタン左前のシャツ

ホームでは風呂は週二回火曜と金曜、そのとおり身につけていた物をすべて着換える。下着のシャツとサルマタ上着のシャツズボンも用捨なく換えられてしまう。

さいきん着換えた上着のシャツは見慣れない一枚で、ボタンは左前だから女性用の筈。「A男」という名札がついているから、昨年亡くなった家内が使っていたものに相違ない

ホームのヘルパーたちは僕によく似合うと褒める。それで文句を言わず僕が着ている左前のボタンなど今まで経験したことが無かったが家内の形見だと思えば善いだろう。署名入りの形見にタオル二枚もあるが、それも大事に使っている」

「ZZ」174号に出ることになった詩は上記のようなものであるが、B君の云うような芭蕉の名句を連想させるような名作であるのか、作者たる私には判断しようはない。

かねがね私の詩作品を愛読して下さる大正大学教授で葛飾区にある寺の住職を兼ねておられるE氏はB君に宛てて「芳信とA男翁の詩集二冊を賜わり感激しております。さっそく『会えなかった詩人』を読了。この詩人の精神世界の奥行の広さ、自由闊達ぶりが見えてきて、ますます引き込まれました。この詩人の若々しさは闊達な精神に由来するのであろうと考えています。これから『耋寿翁のふんばり』を読みます。若々しさを分けてもらいます。」 との感想が送られてきたそうである。

また、B君へのハガキに「『ZZ』167号ありがとうございました。A男さんの正確なお齢とホームにおられることを知り感動一入(ひとしお)。この方のみずみずしい抒情がどこから来るのか、どうしたら維持できるのか、まことに驚異。詩集をおまとめのときは是非一冊頒けていただきたいと思います。」などと書いておられるが、これはいわゆるひと目惚れの類で、過褒と申し上げるほかはないが、それにしても今度の「ボタン左前のシャツ」をどう味読していただけるか、私の期待は限りなく広がるのである。

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